【-第30回- もうラケットは買わない】

チャパリータです。もうそれ以上でもそれ以下でもありません。


今宵は熱心なコレクターだったら、誰しも一度は必ず感じる“虚無感”について語るシス。


私や単は、自分たちでは認めていませんが、客観的に判断すればどう考えても「コレクター」に属する部類の人間です。そのため日常的に収集癖が止まりません。自分たちの探していたプレシャスが手に入るたびに、得も言われぬ高揚感が押し寄せ、つかの間の多幸感に包まれるのです。そして次なる対象へ…。


しかしコレクターはある一定限度を超えると、ふとこんな想いが頭を過るようになってくるのです。ジャンルは卓球に限りません。どの分野においても。


「もう…、買うのやめよう」


早い話、すっごい無駄遣いしてるよ俺。という自己嫌悪に苛まれるのです。皆さんの中にもきっといらっしゃることでしょう。ラケットやラバーが好きで好きで仕方なく、自身のプレーには決して関係のないところで、試さずにはいられない! という純真無垢な心をお持ちの方が。


そうして、新しい用具を購入しては小一時間(ときには数分)ほど試打をし、「うん了解。オッケ~」と満足。“最初で最後のレビュー完了品”の数々が日に日に部屋を圧迫していくという現実。


自分も仕事柄、こんな状況が日常的に起きています。加えて、自分や単は未使用のビンテージに惹かれる傾向があり、その場合はどうなるか? 入手後は「丁重にしまっておく」だけなのだ。


ずーっと欲しくて欲しくてたまらなかったラケットをついに手にし、さぁどうする!? と思いきや、結末は「丁重にしまっておく」だけなのだ。


もう一度言うが、「丁重にしまっておく」だけなのだ。


日々の労働に疲れた己の心身を癒やすが如く、舐るように眺めることもない。一度手に入れてしまえば、もう押し入れから出すことさえ稀となる。そんな戯れを繰り返していると、今度はこんな想いが頭をよぎるのです。


「苦労に苦労を重ねて手に入れても、結局なにも変わらない」


すでに「自分は何を持っていて、何を持っていないか」さえ把握していない。欲しかったビンテージのラケットを苦労して、ときに大枚をはたいて手に入れようと、“持っている”という実に小さな事実が付け加えられるだけ。コレクターと呼ばれる人達は、そんな苦悩を日々繰り返して今日を生きている。さながら修行僧のような煩悩誘惑との闘い、そして負ける快楽。


他人さまからは、「そんなにたくさん持っていて羨ましい」やら「そのラケット探してたんだ!譲ってもらえないか!?」というお声を比較的簡単に頂戴する。


だが分かっていてもらいたい。我々は常人には理解し得ないこれらの苦労や苦悩を重ねて活動を続けているという事を。収集したラケットの数々はその道程を表すものであるという事を。


日々の葛藤と常に戦い続けながら。
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どれだけの財力と労力を注ぎ込もうと、何も変わらない。もちろん世界に平和が訪れることもない。手に入れたその一瞬、束の間のときめき。ただ、それだけ。